帝劇100年

 《ドンブラコ》でスタートした「宝塚少女歌劇」は「歌劇」ではあっても、ヨーロッパ的「オペラ」ではなかった。日本におけるオペラは、明治維新と時を同じくして、横浜の居留地の外国人が娯楽として自ら上演したのが始まりであったらしい。

 

 日本人によるオペラは、よく知られているように、1903(明治36)年7月23日、東京音楽学校奏楽堂で歌劇研究会が上演した、グルック《オルフェウス》が最初の公演。外国人による音楽劇の公演は、横浜ゲーテ座でしばしば行われていたが、北村季晴(スエハル)原曲《露営の夢》が1905(明治38)年に歌舞伎座(!)で上演されたように、次第に実際の公演活動が活発化したのに対し、会場となる劇場に難があった。

 

 今から100年前の1911年3月1日、帝国劇場が開場した。箱ものが出来たらお次は中身。指導者として招聘されたのはが、イタリア人のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー夫妻であった。ローシーは、オペラというより、ダンサーとして、またコレオグラファーとして活動していたが(スカラ座にも出演したことがある)、遠い異国の日本にやって来る気になったのは、「帝国劇場」のことを、その名から「王立劇場」と誤解したかららしい。1912年8月5日、明治から大正へと代わった直後に来日した(この年7月29日に明治天皇が崩御したので、7月30日から大正)。  

 最初期のオペラをどのように評価するか-----東大の渡辺裕先生は、「グローバル化の中の日本歌劇 [帝劇歌劇部の活動の再評価のために]」(『自然と文化』第73号、2004年)において、帝劇歌劇部の活動を日本のオペラ“前史”と位置づける一般的な傾向に警鐘を鳴らしている。

   

 というわけで、帝国劇場は今年開場100年(→記念のムック本)。現在はオペラではなくミュージカルの殿堂として若者を中心とした観客層を呼び込んでいる。今月はタッキー(滝沢秀明)主演の、帝劇開場100周年記念公演『新春 滝沢革命』。2月もジャニーズ系の催しが続く。帝劇の役割も100年の時代の流れとともに大きく変化した。

 

<参考文献>

増井敬二 著;昭和音楽大学オペラ研究所 編『日本のオペラ史 ~1952』(水曜社、2003年)

 

[終わり]

                            

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2017年10月18日更新